高い。何を見ても、スーパーでのお買い物
お値段高くなっています。 (ーー;)
生きていくには、食べないといけないのに。
〈おかずがなくても、お腹を満たすみんなの味方、ふりかけご飯!〉の
ふりかけですら、値上がりだなんて。
我が家の食材の買い方は、献立は後決めで先に売り出し品など、いつもより安くなっているものをカゴに入れていくのですが、その方法だとカゴに商品が入らない。
いつもより、値段が高いのばっかり~。
何を買ったらいいん?
婆・孫、ともども、手足が冷える。
少し前まで食品の値上げのニュースをよく見かけましたが、このところは電気代、ガス代の値上げの話題ばかりに。
大阪も朝晩はだいぶ寒くなりましたが、私の居住地は山手ではないので、着込めば大丈夫。まだエアコンなどの大きい暖房家電は動かさず、ねばっています。ただ私は冷え性で、夏場でさえ冷たい手足はつらいです。
私が中学生くらいのある冬の朝。起きて台所に行くと、祖母がガスコンロの火の上で、手をヒラヒラかざしておりました。焼きのりを炙るかのごとく。
私:「おばぁちゃんっ何やってるん!」 「ヤケドすんで!!」 祖母:「だって見てみぃ。」
と、私に向けた祖母の手のひらは真っ白
私:「生きてんるか?」 祖母:「へっ😁」 私:「お湯とか。あるやろ。」
朝から、ツッコませてくれる祖母です。
そんな祖母に体質がそっくりな私も、冷え切った手足が白くなってきました。
私はコンロで手足は炙らないので、そんな私の冬に長年連れ添ってくれている、強~い味方がいます。それは、99年製・ナショナル電気ストーブ。
1999年製!!・ナショナルです!
電気ストーブヒストリー
出会いは27歳
この電気ストーブと、わたくし27歳の冬に出会って、20年以上。ずっと、ついていてくれました。
結婚してからこたつ無しの生活になった、私の冷え切った手足を、今もなお温めてくれます。
最初に住んだマンションは、独立型キッチン。
いくらリビングがあったかくても、台所は寒い。
ましてや足元なんて、冷え冷え。
そして手も、炙れる温める事ができるようにと、電気ストーブを購入しました。
リーマンショック後
それから一度転居したのちに、リーマンショックで主人の会社が倒産。一文無しになって引っ越した先、当時築35年くらいのマンションは、昔のつくりで居間と台所はとなり同士の別室。
広い範囲を温めると暖房費がもったいないので、仕切り戸はもちろん閉め切って、完全に暖気がシャットアウトされたところでの炊事でした。
その時も、このストーブは私の足元にたたずんでくれていました。
水を使って手が真っ赤になったら、しゃがんでストーブに手をかざす。オレンジ色に光る管をボーっと眺め、手があったまったらまた料理して。
次の転居先では、6年程のバイク通勤。
寒い季節の帰宅後の手足は、冷たいよりも痛い。
家に着くやいなや、台所の電気ストーブに駆けより、パワー最強で電源オン!
手と足を交互にかざしていると、一気に血が巡ってきてじ~んとしてくる。
その後、電気ストーブは今の家にもついてきてくれました。
ず~っとそばに。あったかい。
それぞれの家で、この電気ストーブで暖をとってきましたが、生活が苦しい時の節電の寒さは、ほんとに身に染み入ります。
染み入る寒さの時、何故か目に映るこの電気ストーブのオレンジ色は、より鮮やかで。
じい~っと眺めている時間が長かったように思います。
その後、いろんなご縁のおかげで、いろんな仕事をつなぎつなぎ。生活も少しずつ、落ち着いていき。
ストーブの灯りを眺める時間も、年を追うごとに短くなっていったような気がします。
私をとりまく状況はいろいろ変わったのに、電気ストーブは壊れもせずに、よく付いていてくれました。
大変だった時は、目の前の今日一日を、こなすだけで精一杯。そんな今日が終われば、明日が来て。そうこう毎日を過ごしているうちに、気づけば住処が築年数の浅い家に(笑)
気づけば、電気ストーブのオレンジ色も穏やかに。
ありがたく、毎日ボチボチ暮らしております😊

今年はまだ、なんとか大型の暖房器具は使っていませんが、手足の冷えは相変わらずでなので、このストーブとはすでに半年ぶりの再会を済ませ、在宅ワークとブログに励んでいる私のデスク下で、今この時も、私の足を温めてくれています。
と、今しがた起きてきた主人が
「暖房つけていい?」
と申しております。
いいけど・・・。
やっぱり、値上げも身にしみる。
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