打たれる杭でいいじゃない

働く・学ぶ

学校や職場で自分の思う通りに頑張ってみたところ、まわりより頭が出てしまい打たれてしまう。往々にしてあるようですね。

打たれないより、打たれる方が「気づき」が大きい。どちらにせよ成果や実績は後のもの。自己研磨と心得て、淡々と目の前のことを頑張ってみる。

出る杭は打たれる

「出る杭は打たれる」この言葉で気になる事があったのでネット検索したところ、次々出てくる打たれる不満の数々。なかなか多くの人達が打たれている模様。そして若い頃の、サンドバッグな自分を思い出す。

おばあちゃん子の特性で、先生や上司、お客様が言葉を発する前に要望を、察知する事が多かった。そして好奇心旺盛。勉強や業務などはじめての分野なら、なおさらおもしろく前向きに取り組む。すると結果につながりやすい。

そしてマイペース。
相手(先生・上司・客)の求める事に応えようと、まわりのペースは気にせず集中。 結果が出て相手に喜ばれる。結果が出ずとも、「要望に応えようと頑張ってくれた」と喜ばれる。
喜んでもらえたら、私、嬉しい。やりがいを感じて、まわりを気にせず元気はつらつ

いつのまにか頭が出ている。

と、今も何打ちか、いただいていることと思います。

こうして書き起こして、自分から離れたところで見てみると、元気はつらつにちょっと、イラッとくるものが。
頑張れる機会にも恵まれて、上司にも気に入られて、まわりも見ずに意気揚々としている人を思い浮かべて、なんだか鼻につく(笑)

打つ側のきもち

そうです。打つ側の気持ちも、あるのです。

自分にないチャンスがあったり、言いたい事をまわりに言えたり。そんな風に「できている」人を見ると、自分へのチャンスをとられたような、まわりの状況を考えたらそんな事は言えるわけないし、とか。

自分が「できていない」時は、そんな風に思えるときもあります。でもそういう時はたいてい「できている」人ほどの努力をしていないか「根本的に苦手で、できない。」ということに気がついて、モヤモヤ妬んだ自分が恥ずかしく。

よれよりも本当に悔しく思うのは、あきらかにチャンスがあったのに自信がなくて怖気づいたり、まわりを気にして自らチャンスを見送った時。せっかく役に立ちそうだったのに、出しゃばって目立つのもよくない、おせっかいだと手をひっこめた時。

そんなとき、私はとても残念な人になります。

おごらず。高い杭になあれ。

打たれた理由

私の打たれ具合は陰口をたたかれるか、「なんだかちょっと、浮いてるなぁ。」と察知するくらいのもの。打たれるうちに、少し気をつけることを覚えて、回避することができる程度のことでした。

そうではなくて、ひどい仕打ちにあうとか、集団での嫌がらせなどは、さすがに打つ方が悪すぎる。そんな場所からは今すぐ立ち退いていしまいましょう。

鼻につくわけは、私が傲慢だったせい。頭が出たのは「自分の努力の結果」なんてこと、思っていました。

でもそれは、ちょっと違う。
結果を得られたのは、自分だけの力ではなかったはず。たまたまそこにあった環境や、まわりのサポートがあったはず。打つ人だけではなく、認めてくれる人や喜んでくれる人がいたからこその結果。
理由はともあれ、自分が勝手に始めた努力。どれだけ頑張るかも、自分で決めた事。何よりも、その努力は誰の為でもなく自分の為になったはず。

打たれるうちに気づいたことです。

残念な人よりも

能力ではなく、自分の傲慢さで打たれる結果となっていた私でしたが、ちょっとくらい打たれても、やっぱり残念な人よりも誰かの役に立っていられる方が、自分が元気でいられると思うので、打たれる杭も、まあアリか。なんて思ってます。・・・強打はいややなぁ。

能力があって打たれる人は、私のような傲慢な人にはならずに、頭が出ても応援してくれる人、支えてくれる人達のもと、高ーい杭に、なってほしいな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました